ホットなホットな、お付き合い
西大路御池と吉祥院に自動車整備工場を構える光自動車工業株式会社は、六十六周年を迎えました。これからも、創業当時から変わらぬ誠意と熱意をもって、お客様の「より安心・安全」「より快適」なカーライフをサポートして参ります。
昭和26年6月、西ノ京原町に光自動車工業株式会社は創業しました。社名は当時の日本専売公社が発売されていた「たばこ」の銘柄が新生、光、富士の順に高級品とっており、いつかは富士にとの想いで、光と命名されました。創業当初は木造の工場で、整備作業所は現在の事務所の部分のみでした。
お預かり車輌は、砂利道だった御池通りに駐車していたようです。その後、昭和42年に、当時のこのエリアでは珍しかった鉄筋コンクリート造の2F建事務所を建設し、管理車輌が増加するに伴い、工場スペースを北に拡大していき、現在の形に至りました。
大型バスの整備をルーツとする当社では、未舗装の御池通りに整備待ちの車両が所狭しと、太秦天神川まで並び、本社工場には、一晩中、エンジン音が鳴り響いていました。オイルの性能も道路の舗装状況も悪かった当時の整備作業は、エンジン焼き付きによる分解整備は日常茶飯事で、噴射ポンプの整備など今では、滅多に見られない作業を、日夜油まみれになりながら行っておりました。
仕事量が増えるにつれ、整備士が増え、創業間もなくは、先代の自宅を独身寮としていましたが、それも早々に手狭になりました。モータリゼーション真っ只中の昭和30年~40年代には整備士の採用を更に強化し、九州、北陸など全国の学校と提携し、整備士を募集しておりました。本社2階および本社近隣の独身寮には、6畳の部屋に2名~3名が寮生活を営み、最も多い時で収容人数は16名を数えるに至りました。
翻って現在、機械から電子制御化への流れ、ハイブリッド車や電気自動車、さらには燃料電池車など動力の変化など、自動車の技術革新は、とどまるところを知らず、これに対し、当社整備士は、日々、技術研鑽に励むことを求められており、整備技術の向上は、当社に課せられた使命でもあります。